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2月3日(木)NHK長野放送局・イブニング信州で生中継されました。

信州で機械製糸が始まって150年。これを記念して、岡谷で当時の繰糸方法で脈々と続けられている諏訪式繰糸機による操業状態が2/3(木)NHK長野放送局・イブニング信州で生中継されました。

NHK長野放送局・中村慎吾アナウンサーが来館され、「信州の作家展Part3」の企画展示エリアをご覧になっていただきながら、高林館長案内のもと、当館に併設している日本に4つしかない製糸工場の1つ、宮坂製糸所の動態展示エリアの諏訪式繰糸機が稼動している様子が伝えられました。

「諏訪式繰糸機5機が稼動したのは初めて」というお話を宮坂製糸所・宮坂会長がされていました。撮影していた博物館スタッフの両角も見ていて迫力があり、とても感動しました。

【参考】
我国に製糸機械が入ってきたのが、明治3年(1870)のイタリア式のもので前橋藩の前橋製糸場です。これはイタリアからの輸入機械でなく、スイス人のC.ミューラーがイタリア式を作らせたもので、これがわが国での機械式繰糸嚆矢といわれるものです。その繰糸機構が小野組築地製糸場で使われます。その後、明治5年(1872)8月に上諏訪の角間に「深山田(みやまだ)製糸場」へもたらされ、これが長野県内初の機械式製糸工場ということになります。同5年10月には富岡製糸場でフランスから輸入したフランス式繰糸機式での操業が始まります。
県内には、深山田に次いで上高井郡雁田村に雁田製絲場が明治6年にイタリア式で創業します。諏訪式繰糸機の出現は、明治8年(1875)、イタリア式繰糸機と諏訪式繰糸機の折衷の諏訪式繰糸機が武居代次郎によって開発され、岡谷の中山地籍で中山社として操業します。
したがって150年目というのは上諏訪(深山田)へ機械製糸が入ってから、ということになります。150年はフランス式繰糸機が、わが国へもたらされたことと重なります。
当館には、宮坂製糸所へ入る手前の体験コーナーにレプリカ版のフランス式繰糸機を展示してあります。昨年の「青天を衝け」のシーンでは、その機械をNHKスタジオへ運び林学芸員が繰糸指導をして、あの富岡製糸場の繰糸シーンが出来上がりました。

※お写真はリハーサルの様子です。