収蔵品展「岡谷の工女さん―製糸業を支えた女性たちの仕事とくらし―」イベントとして「聞こう、語ろう、工女さんのこと」を開催しました。
実際に製糸業にたずさわった人たちの生の声を聞く公開講座です。
市内外から大勢の皆様が、元工女さんたちの声に耳を傾けるひとときでした。
お話いただきましたのは・・・
製糸工場で40年近く働き、元工場長だった高橋眞さん(87)、戦前に下諏訪の片倉マルロク工場で多条繰糸機にかかわった今井あや子さん(92)、現在も宮坂製糸所で糸作りされている中山ふじさん(88)です。
今井さんによると、片倉マルロク工場に入るには入社試験があって、足型を取られたとか。その当時の片倉は多条繰糸機だったので、立ち仕事のため、偏平足は合格しなかったそうです。また、糸を取りながら、こっそり貯めておいたサナギに塩を振り、新聞紙に包んで蒸気管のところに置いておくと、夕方仕事が終わるころには、サナギが乾いて、それもイイ加減に塩気が効いて、夜、寄宿舎の部屋でのお茶菓子に最高!だったそうです。92歳の今でもお元気なのは、サナギを食べてきたからかもしれませんね。
中山ふじさんは、現在も宮坂製糸所で糸取りをしています。いつも、仕事ごしにしか知らない中山さんの来た道を、ぜひともご本人からお聞きしたいと思ってお願いしました。
「セリプレーン(糸むら検査)は、運プレン、天プレン、なんて言って、その時その時、いつどこの糸が取られるか分からないから、大変なんだだよ」と、当時の生糸検査の厳しさなどを、ニコニコしながら、面白おかしくお話くださいました。
中山さんがおっしゃると、大変だったことも、少し穏やかに聞こえるので、とても不思議です。それでも、中山さんは、心の中では「がんばらにゃあ、いけない」と思ってやってきたそうです。
逆に、吉田館で工場長をしていた高橋さんは、「輸出生糸は、高品質が求められたので、糸の格付けも決まっていただよ。だから、イイ糸をつくるために、働く女性たちを泣かせたこともあったかも・・・・」と当時を振り返り、苦笑いされていました。「無駄なく、むらなく、無理もなく」という糸づくりの基本もしっかりとお話くださいました。
3人の方たちは、工場での糸づくりの様子と、その暮らしを、昨日のことのように、しっかりとお話くださり、聞く方も、頷いたり笑ったり、えっ?なんで?と思ったりと、会場が3人のお話にどんどん引き込まれていく感じでした。
岡谷蚕糸博物館では、蚕糸・製糸経験者への聞き取り調査を行い、これらは歴史の証言として、貴重な資料です。
もし、お近くに、蚕糸業の仕事にかかわってこられた方がいらっしゃいましたら、ぜひともご紹介いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。