夕やけ小やけの 赤とんぼ負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を小篭に摘んだは まぼろしか
郷愁をさそう「赤とんぼ」の歌です。「桑」という言葉からは、家族でお蚕さまを育て、繭から現金収入を得ていた一昔前の生活の様子が浮かび上がってきます。数十年前には、学校の登下校の際に道端の桑の実を食べて、手や服を汚してしまった人もいるのではないでしょうか。桑畑を表す地図記号は、地面に根を張り、葉が生い茂る姿をよく表しています(図1)。現在では桑の木が生えている場所も少なくなりました。

図1 地図記号
お蚕さまが食べる桑は、養蚕と切っても切れない大事な植物です。この桑が身近でなくなったということは、蚕糸業の衰退を表しています。図2は昭和初期の岡谷市の地図に記載されている桑畑の部分を緑色で塗ったものです。こんなにも広大な範囲に桑畑があったことに驚きます。今では日本中から桑畑が減少し、平成25(2013)年には地図記号から「桑畑」の記号が使われなくなりました。とても寂しい気がしますが、地図記号の変遷は社会の変化を写す鏡とも言えます。

図2 昭和初期の岡谷市の地図 緑の部分が桑畑
例えば「塩田」の地図記号は昭和61(1986)年に廃止されました。塩は工場でつくる時代となったからです。無くなる地図記号があれば、新しく生まれる地図記号もあります。「風車」や「老人ホーム」は自然エネルギーの普及や高齢化社会を感じる記号です。ちなみに「博物館」の地図記号は平成14(2002)年に制定されました。意外と最近ですね。「桑畑」の記号一つからも、日本の近代化を支えてきた産業の盛衰が感じられます。